「虚ろな十字架」を読み終えた。
東野圭吾氏の本は今月2冊目。
300ページもある部厚い本だったが、とても読みやすく、スラスラ読めた。
昨日から読み始めて、読むのが遅い私でも、2時間足らずで読めた。
東野圭吾氏の小説はテレビ化されているものが多く、テレビで楽しんで見る事が多かった。
テレビばかりで
東野圭吾氏の本を読んだのはこれで3冊目。
今月はじめに読み終えた「パラドクス13」がSF的で、今の生活というか豊かさがどれだけありがたいものか、読んで思った。
宇宙の超常現象の結果、人や生き物全てが消えた。そこには、なぜか数名が生き残った。
人や生き物が消滅した瞬間、忠実に守ること教えられた法律も意味をなさなくなった。
そして、湯水のように使えた電気水道ガスなどの生活インフラがなくなるのは確実。
そして、生きがいも、目的も、豊かな老後も全てが消えた。
さらに彼らには、想像を絶する天災が襲いかかる。
街は大きな地震で、道路はひび割れ、建物が倒壊し、地下鉄が陥没して道路には大きな穴があき、アスファルトの塊が山のように聳え道路塞き、陥没した道路は谷のようになったような状況だろう。何もなければ数分で行けるところが、数時間かかるような状況だ。さらに、異常なほどの大雨がつづき、陥没した道路が泥の川となり、時折、上流であふれた水が街を襲うという状況。
電気もガスも水道もなく、当然携帯電話も使えない。食糧や飲み物は、崩壊したコンビニやレンストランから調達。
今のように、いつでもいくらでも食べた時に食べたり、飲みたい時に飲んだりするなどとうてい出来ない。
さらに、医療のインフラも消滅した。病気や怪我をした時どうするか?病気や怪我で動けなくなった人は、どうすればいいのか?
社会の基盤が消滅した時、どうなるかを考えさせられる内容だった。
そして、今日読み終えた
「虚ろな十字架」は、SF的な要素はなかったが、読んで行くうちに考えさせられるものがあった。
可愛い盛りの8歳の娘が突然殺められた時を想像できるだろうか?
大きくなったとは言え、娘の命が奪われた時の親の気持ちは想像できるだろうか?
人が人を殺めると、その償いはどうするか?
遺族の悔しさは計り知れないものがあると思う。
残された親の気持ちは、犯人を死刑にしても余りある恨みが残る。
しかし、今は死刑制度の廃止の声も大きくなりつつある。
人を殺めたりすると、刑法に則って、裁判で裁かれる。決して死刑になるとは限らないようだ。
無期懲役でも、何年かすると仮出所されるようだ。
仮出所中の受刑者に8歳の娘を殺められた主人公。
その受刑者は、強盗殺人の罪で刑を受け、受刑中だったが、仮出所を許され、刑務所出、親族の援助で暮らしていた。
しかし、悪癖は治らず。失業。
そんな中で起こした犯罪。
再犯をしてしまった。
普通なら、死刑が妥当と思われる。
主人公と彼の妻は犯人の死刑を望むが、一審では無期懲役の判決。
控訴して二審死刑。
被告は上告せず。執行された。
犯人からの謝罪の言葉はなく、死刑を運命として受け入れ犯人は刑を受ける。
そのあと、主人公と彼の妻の二人は関係がうまく行かなくなった。
話はここから始まる。
受刑者は、深く反省していたのだろうか?
人を殺めた償いは、裁判の判決よって受刑することでできるのか?
受刑者は十字架背負う、その十字架は?
そこからもう少し深くまで考えさせられる小説だった。
以前読んだ東野圭吾氏の小説は、推理小説だったように覚えている。
この2冊は東野圭吾氏が小説を通じて、問題意識を提起しているような気がした。