興味転々

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暦(こよみ) 行く月 逃げる月 去る月 1月2月3月 月(暦)の話 太陽暦・太陰太陽暦からグレゴリオ暦そして元号

★★★目次★★★

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太陽暦太陰太陽暦

1月2月3月・・・と日本のカレンダーは続く。12月まである。今では、当たり前のこと、4年に一度の閏年に2月が1日増えるだけで、毎年大きな変化はない。

かつては、13ヶ月ある年もあって、年によっては大きく変化した。明治5年まで、日本は太陰太陽歴を使っていた。

太陽暦は一年を約356.2422日。ほぼ毎年季節のズレはなくカレンダー通りにやってくる。お正月の日も毎年違ったのだろう。

太陰太陽暦では、12ヶ月が約354.3671日。太陰太陽暦太陽暦より11日ほど少ない。そのままだと季節のずれが出てくる。それを調整するために、ずれが1ヶ月の30日になると「閏月」を設けて調整していた。設ける月は二十四節季と関係が場合もあるようだ。

江戸時代中頃くらいまでは、日本の暦は、中国の暦を使っていたようだ。江戸時代には独自の暦を作ろうということになった。かなり高度な計算などが必要だったようだ。

太陰太陽暦(たいいんたいようれき、英: luni-solar calendar)とは、太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦(暦法)のこと。

 

 日本では飛鳥時代の元嘉暦以来、中国王朝が制定した暦(中国暦、日本では漢暦とも呼称)をそのまま導入し和暦として使用した。しかし貞観4年(862年)に導入された宣明暦への改暦以後、およそ800年あまりにもわたって宣明暦を使用し続けた結果、江戸時代のはじめには太陽の運行予測に約2日のずれを生じさせていた。

 そこで貞享元年(1685年)10月、渋川春海の意見によりようやく日本独自の太陰太陽暦(ベースは中国の授時暦)である貞享暦への改暦が実現した(頒暦はその翌年)。以来、貞享暦(貞享2年 - 宝暦4年)、宝暦暦(宝暦5年 - 寛政10年)、寛政暦(寛政10年 - 天保14年)、天保暦天保15年〈弘化元年〉 - 明治5年)と独自の太陰太陽暦の使用が続けられてきた

 

 (ウィキペディア太陰太陽暦}より)

月の呼び方

日本の暦(カレンダー)には月は数字で表示されている。1月、2月・・・12月と続く。別の言い方もある。今ではあまり使われないが、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走とある。

海外では、それぞれの月の呼び方は違う。数字ではない。

January,Februaryとなる。

ローマの皇帝の名前が付いたついた月もある。

日本では、一月、二月、三月と言う表記は、日本書紀にもあったようだ。読み方が違ったかもしれない。数字での月の表記は日本人に馴染みが深い。

清少納言の「枕草子」にも、「二月はつごもり・・」というのがある。月の数字表記古くからあった。今は「にがつ」と読むが、当時は「にがつ」と読んだかはわからない。ひょっとして「二月」を「きさらぎ」呼んでいたのかもしれない。

寒いからさらに着ると言うことから「着て、さらに着る」それほど寒い月という意味だと聞いたことがある。本当かどうかはわからないが。

 

語呂合せ「一月は行く。二月は逃げる。三月は去る。」

今は、数字で呼ぶ。読みを数字にすることで、語呂合わせができる。日本の数字の読み方は語呂合わせがしやすい。

1月から3月の間を語呂合わせして、

「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と言った。それほどこの時期は過ぎるのが早感じるからだろう。

一月も、もう半分が終わろうとしている。本当に少し前、紅白歌合戦やガキツカや格付けの年末年始恒例の番組を観たように思うのに。1月は過ぎるのが早い。

この時期は行事が多いから、早く過ぎるように感じるのだろう。決算期など一年度の終わりが3月という日本だからだろう。成人式、入試試験、卒業式、期末(年度末)間近な為期限付きのことことや来期の準備などに、正月より現実的な忙しさがある。上手いこと考えたものだ。

 

2月だけ、なぜ日数が少ない?。

以前から不思議に思っていたのが、なぜ二月は28日か29日という中途半端な日数なのか?31日ある時と30日の月の並びはなんだろうか?法則がありそうにもない。

31、28(29)、31、30、31、30、31、31、30、31、30、31と並ぶ。なんか法則性が見えない。

なぜ30日と31日があり、2月は28日か29日なのか?

ウィキペディアで「月(暦)」を読んでわかった。

まず、日本は、明治初期までは、太陰暦だった。一年に13ヶ月ある年もあった。一年長さを調整するために「閏月(うるうつき)」があった。

太陽暦に変わったのは明治5年12月3日。この日が明治6年1月1日なった。明治5年、日本の暦では閏月があって13ヶ月あった。財政難の明治政府は、給料を減らそうと13回を12回にすることができるのもあって、年12ヶ月の太陽暦を導入したという話もある。その年は、結果12回の給料で済んだそうだ。

今は30日と31日の日がどんな法則なのかと思う。31日の月が続くこともあったりで。

ウィキペディアを読むと、最初の頃は31日と30日の月は、交互にあった。そして、月は10ヶ月304日だった。一番目の月は今の三月になるように書かれている。それでは、農業に影響はあるというので、12ヶ月355日にした。ウキペディアの表を見ると、今の「二月」が最後の月だったような印象を受ける。だから日数が調整されるのは二月で、他の月よりも少なくなるのだろう。日数は最後の2月で調整して、このときは、2月は28日か29日、他の月は31日か29日だった。

ユリウスカエサ(ジュリウス・シーザー)時に、一年を12か月365日(閏366日)になったようだ。紀元前47年のころだ。

1月31日、2月30日(29日)、3月31日、4月30日、5月31日、6月30日、7月31日、8月30日、9月31日、10月30日、11月31日、12月30日だったようだ。30日と31日が交互に並んでいる。

このときに、元老院がシーザーの功績をたたえは誕生付きである7月に市シーザーの名前を付けた。「Julius」今は「July」。ユリウス暦

さらに、ローマ初代皇帝アウグストゥスは、元老院を操作して、自分の誕生月、8月に自分の名前を付けた。ユリウス暦では8月は7月より日数が1日少ないから、二月から1日とって、2月は28日(29日)にして、第六の月8月を31日にした。以降は、9月30、10月31、11月30、12月31変更したそうだ。ユリウス暦アウグストゥス改訂)。この暦は1582年グレゴリウスにより、太陽年との誤差が修正されて、グレゴリオ暦を実施した。今使われているのはグレゴリオ暦

 

9月は7(Septem) 10月は8)October) 11月9 (November) 12月は10(Decem)

昔聞いた話では、皇帝二人が誕生月に自分の名前をつけたというのは同じだ。皇帝のために7月以降の月の名前をずらしてたという話を聞いたことがある。

人皇帝の名前が入ったので、7月が9月になり、8月10月になり、9月が11月になり、10月が12月になった。9月は(September)、10月(Octorber)、11月が(November)、12月が(Decenber)。それの月の呼び名を見ると。
9月の「Septem」はラテン語で「7」の意味。
10月の「Octo」は「8」の意味。
  八本足のタコは「オクトパス(Octopus)」ともいう。
11月の「Novem」は「9」の意味。
12月の(Decem)は10の意味。

なろほどと思える。

ウィキペディアの表を見ると、一年が10ヶ月の頃の一番目の月が3月だった。7月は5番目の月、8月は六番目の月、9月は七番目の月となる。それからすると、9月がSeptemberに7を意味するSeptemがついてもおかしくない。

 

元号

暦は大切で、今は普通にカレンダーをめくって、日曜日や祝日やイベントの日やらを確認して、あと何日か確認したりする。仕事の予定を入れたり、決算など重要書類の提出日など、仕事に大切な日を確定して実施するのに不可欠だ。普段は何気なく当たり前に見ている。人類が発展するのに暦は欠かすことができないものだった。
年はあまり重要ではなかったかもしれない。暦一年の気候の目印であった。年は何年であれあまり関係なかった。社会が広くになるにつれ、年の重要性も増してきた。誕生日を記録、年齢をはかり教育、成人、人生の儀式などを図るのに活躍している。
日本は、西洋の2019年という続きの年はなかったようだ。その代わり元号があった。今の元号は、天皇陛下一代にひとつだが、昔は、一人の天皇の代にいくつもの元号があった。これで年齢を勘定するのとても難しいが、昔の人はそれを数えていたのだろう。今の時代でも、元号で年を数えるのはちょっと考える。
1868年が明治元年であるが明治元年のころは旧暦だったので、日付のずれがある。

明治元年(めいじがんねん)もしくは慶応4年(けいおう4ねん) 日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(以下、旧暦)を採用していたため、西暦とはずれが生じる。 したがって、グレゴリオ暦の場合は
旧暦明治元年1月1日から11月18日まで - 1868年(1月25日から12月31日まで)
旧暦明治元年11月19日から12月30日まで - 1869年(1月1日から2月10日まで) 

ウィキペディア明治元年」より)

 元号をまたいで、年齢を数える場合は、西暦に変えて数えた方が速そうだ。
明治は45年あったが、
1912年7月30(明治45年/大正元年)7月30日まで、

大正時代は、
1912年7月30(明治45年/大正元年)7月30
~1926年(大正15年/昭和元年)12月25日
昭和時代は
1926年(大正15年/昭和元年)12月25日
~1989年(昭和64年)1月7日まで
平成時代
平成元年(1989年) 1月8日
~平成31年(2019年)4月30日まで

その次の元号は・・・・・?

 

暦は大切だ。国を治めるには、農業に深く関係する暦は、国の命運に関わることだった。日本では年を当時の天皇が願うを込めてつけた。大きな災害戦乱があると変えるなどしていた。

 

参考

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

明治 - Wikipedia

大正 - Wikipedia

昭和 - Wikipedia

平成 - Wikipedia

明治元年 - Wikipedia