「疲れる」の原因は、なんなのか?
「しんど〜い」「あ〜疲れた」
よく耳にもする言葉だ。
あまり何もしていないようだけど・・と思うこともある。
「しんど〜い」「あ〜疲れた」の原因は運動量によるものではないことが、ままあるように思う。
または、運動した後や仕事をした後疲れて「しんどい」「あ〜疲れた」ということはままあるように思う。
仕事に集中したときも同じだ。
口癖かもしれない。
終わったと言う意味で使うこともある。
声に出すことで脳も一区切りつけることができるのかもしれない。
普段何気なく耳にする「しんどい」や「疲れた」の「疲れ」は何なのかなと、チョット気になった。今まで考えたことがなかった。
テレビでは疲れた時の食事や栄養剤などのCMをよく見るが、その元というか「疲れる」仕組みは考えたことがない。
自分なりに考えてみた。
いろいろな見解があるので、
素人の考察で自由気ままに書いてみた。
素人考えなので間違っているかもしれない。
「疲れた」と感じるところは
「疲れる」と思うのは、脳では?
「疲れる」は脳からの信号では?
ネット調べてみた。
疲れた時の食べ物や栄養剤や対処法ついてのサイトがある。
その中に疲れの原因は脳だと言っているページを見つけた。
疲れの原因は脳の疲労 ミトコンドリアが「さびる」
「疲労とは、医学的には“痛み”や“発熱”と並ぶ生体アラームの一つ。だから運動後の疲労も、そのほとんどは脳の疲れから来ている」(梶本院長)。運動後の筋肉疲労が“脳の疲れ”からというのはにわかには信じがたいがどういうことだろうか。
(NIKKEI STYLE 日経ヘルス の記事より)
よく考えると、
「疲れる」と感じるのは脳だから、
脳が動くことで受ける神経信号が過多にになり疲れるのかも。
それがバロメータになって、
「これ以上やったら体が壊れるぞ」や「今までこれだけの運動をしたことがないのでこれで大丈夫か?」という注意という意味で疲れたという信号を出すのかもしれない。
動きすぎて、
各部位のビタミンなどの栄養分の不足や疲れの原因かと言われているファティーグ・ファクターなどが増え、その事が脳に信号で送られ、脳が判断して休ませるために「疲れ」と言う信号出すかもしれない。
「疲れる」と言っても、肉体的なものと精神的なものがある。
精神的疲れ
あまり運動をしなくても
「疲れた!」と思うこともある。
動いていなくても、
精神的に良くないこと、
たとえば、上司と飲みに行って説教されるとき、
今までに経験のないこと、
たとえば就職して初めて出勤するとき。
たとえべ就職の面接試験で。
脳を酷使すること、
たとえば受験勉強などで、
たとえば、長時間の繊細な仕事。
たとえば、長時間のスマホゲーム
脳が「もう限界!」と
脳が「疲れる」信号を出すことなどがあるのだろ。
ずっと緊張していると疲れる。
慣れない環境で仕事をすると疲れる。
肉体的疲れ
人の体は機械に似ているところがあるかも。
機械はずっと同じ動きをしていても「疲れた」と言わない。
「疲れた」と言えないし、疲れたと思わないだろう。
ただ、故障寸前になったらアラームが鳴る。放置すると動かなくなる。
故障する。
人の体は、機械より素材は硬くない。
生まれつきや鍛え方で硬さ強さや耐久力も違う。
これは機械に使われている素材も同じだ。
機械ほど丈夫でないと言って、人の体は、長く使っても、ちょっとやそっとで故障はしないように思う。
スポーツ選手は毎日ヘビーな練習をして、鍛えている。
金属を鍛える鍛錬のようなもの。
鍛錬して骨や筋肉をスポーツに体をならす。
簡単に壊れたらスポーツなんてなりたたない。
いくら鍛えても限界を超えると故障する。
その為に、「疲れ」や「痛み」という信号が出て、が動くことを阻害する。
これが機械のアラームと同じなのではないかと思う。
故障するから気をつけろという信号。
それを、無視していると、病気になったりする。
機械と違って、
人間には自己治癒力がある。
疲れをを癒す自己治癒力
自分は、よく散歩をする。
しかし、散歩した後の感じ方が日によって違う。
同じような距離を歩いても、ひどく疲れを感じる時とそうでない時がある。
その時の体調にもよるが、歩いていて充実感が感じられるときは、あまり「疲れ」を感じないことが多い。
人は機械に似ているところがあるといったが、
機械と違うところもある。
人は、自己治癒力がある。
時々歩いていてこむら返りになりそうになる時がある。
脳が信号を受けストップをかけるためにするのだろう。
一旦休んで、また歩くと、体が慣れて来る。
そうすると、こむら返りのことは忘れしまうこともある。
原因は、脳の反応で、生態的に影響を受けて、何らかのバランスが崩れ、何等かの障害を感知してか、脳に間違った信号が送られてかかもしれない。
人には、疲れたら休むことでメンテナンスし回復させ、何十年と長い期間、動き続けることができる。
人にとって大切なのは、寝ること。
寝ている間に人は体の不具合や脳メンテナンスすると言われている。
「疲れる」 を感じ時は、気をつけた方がいいかもしれない。
「疲れる」は脳からのアラーム。
自爆的疲れ
もう一つの疲れがあるように思う。
精神的でもなく肉体的でもない。
「疲れる」の自己暗示による
「自爆的疲れ」
また、「しんどい」や「疲れた〜」という言葉はあまり口にしない方がいいと思っている。
その言葉を誰かが聴いている。
自分ひとりだと思っても、自分が聴いている。
自分の耳が聞いて脳に伝える。
頭のなかで思っているより、口に出した方がはっきりと意識してしまう。
それを聞いて、脳はしんどいという暗示にかかってしまうかもしれない。
「疲れる」状況は何らかのアラーム、体が弱っている症状。
免疫力が落ちたりするかもしれない。
疲れていなくても、「しんどい」という言葉を自らが発し、
自らが聞くとで、
脳は「疲れている」と錯覚し、体が疲れた状態になる可能性があるのではないかと思う。
自分は「しんどい」「疲れた〜」をむやみに言わないようにしている。
さらに
独り言は自分聴いているいるから、誰もいないからと言ってマイナスワードは口にしない方がいいと思っている。
健康に良くない。
人を非難する言葉や疲れたやマイナスワードは、言わない。
自分を発奮させたせたり自粛させるためにわざとマイナスワードを口にすことはあるが、感情任せてのマイナスワードは口にしないようにしている。
同僚と飲みに行って、同席していない同僚をけなしながらお酒を飲むと、爽快だろうか?
自分の場合は逆だった。言っているときは良くても、後味の悪さはかぎりない。
疲労感がある。
自分で発した言葉で疲れる。
まさに自爆的疲れもあるように思う。
疲れを癒すには。
自分の場合はビールを飲んで、好きなビデを見たりする。積極な活動はしない。受動的な状態にする。
自分が一番気楽なことができれば、一般的よくないと言われていることでも、
いいのではないかと思う。
健康に「良い」「悪い」ことは、次々に新しい発見があり、よく変わる。
これまで書いたことは、医学的に知識のない著者が自ら経験したことなどや、人様子を観察しても、ネットで見たことで、ほぼ独断で書いた。