京都に子供の頃から何度も行った事がある。
子供の頃は、阪急電車に乗って嵐山嵯峨によく行った。
旅行のガイドブックを片手に。
あれから、何十年か経って、再び京都によく行くようになった。
今度は、京都の東山の方へよく行くようになった。
行くところは大概決まっていた。
鴨川を渡って清水寺界隈を散歩。
京都の街はなにか、大阪の街より歩きやす。
阪急の駅を降りてあてもなく歩いて回る。
昨年は、四条河原町から平安神宮そして銀閣寺と歩いたりもした。ちょっと気分を変えて、四条河原町から東本願寺から東福寺へと歩いたりもした。
これで京都を全て行ったとはいえるものではないが、よく京都に行ったとおもう。
そろそろちょっとあきたかなと思った今年5月。
書店でたまたま見つけた「地図・地名からよくわかる!京都謎解き街歩き」を購入した。
読むと、なかなか興味深い事が書かれていた。
今まで京都に何度も行ったが、全く京都を見て回れていないのに気づかされた。
京都の街は、桓武天皇が784年平安京に遷都していらい、日本の首都で、権力闘争が絶えず、そこに、地震や火事があったりして、平安京が出来たときからすると街の様子は全く違ったものになっている。
三条通、四条通や五条通はまだはっきりと地図に乗っているが、一条は狭い路で地図で探すのが大変だ。二条通も似たようなものだ。
二条通は、二条城で遮られて西の部分は消えている。
平安京は、中国の都を模して設計されている。当然に街の真ん中には朱雀大路が走ってその北には朱雀門があって、内裏がある設計になっていた。
設計は机上でおこなわれたもののようで、結果京都の街は、当初の設計とは全く違ったようになってしまったようだ。
その朱雀大路も今はその影もなくなっている。
千本通が朱雀大路があったところのようだ。千本通から東が左京、西が右京。
今の京都では、左京が栄えている。右京は湿地で、人が住みにく土地だったようだ。
結果京都の中心は今や、左京の烏丸あたりになっている。
平安京は、左京が中国の洛陽、右京が長安を模した設計だったようだ。しかし、右京がさびれてしまったため、京都の」京都に行く事を洛陽の洛をとって「上洛」、京都お中心を「洛中」というようになったとあった。
私がよく行った鴨川を渡っていった清水のあたりは、秀吉が京都の中心部を囲むようにつくられた「御土居」の外になる。洛外になる。
御土居は東は鴨川から西はJR山陰線の少し西になる。南は東寺のあたり北は加茂川に沿って巡らされている。総延長22.5Km。
などなど、京都の地名や地形、そして歴史を絡めて京都の名所や祭りを説明してる。
京都を散歩するのに良いネタをたくさん提供してくる。
先日は、この本をもとにかつての朱雀大路を歩いて、一条通を確認して、京都御苑まであるいてみた。
地図・地名からよくわかる! 京都謎解き街歩き (じっぴコンパクト新書)
- 作者: 浅井建爾
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